明日には忘れるひとりごと

ただの偏見と自論

歪んだ感情

嫌いと言うことは簡単だ

 


画面に映る見てあいつが嫌いと言えば

わたしはあの子を嫌いだと証明できる

 


なのに、まだわたしはあの子の監視をしている

今日はどこで何をしてるとか

また同じ顔で笑ってるとか

本来気にしなくていいことをしつこく嫌っている

 


嫌いなら見なければいい

 


わたしの嫌いはただの嫉妬で出来ていることが多い

 


妬み嫉みの醜い感情を認めたくないから

嫌いになることで慰めている

嫌いだから関係ない、嫌いだから気にすることない

 


本当はあの子コンプレックスでしかないのに

 


どうしようもない感情には

名前をつけないと納得できない

 


訳の分からない心のモヤモヤを取り払うには

言葉にして出さなければいけない

 


そのすべてにわたしは嫌いを使う

嫌い大好き人間

 


活躍するあの人が嫌い

高らかに笑うあの人が嫌い

 


嫌いになることでその人なんか認識するほどでもないと思い込みたいだけで。

 


ほんとは劣等感の塊でしかない

わたしが生きづらくなるだけだ

 


認めれば受け入れればもっと楽になるだろうし

もっと素直に生きられるだろうけど

わたしは昔から認められない、キラキラした人たちを

 

 

 

恥ずかしくて情けないことだと思う

 


誰にも言えはしない、こんなこと

 


かわいそうとおもわれたくない、

比べられたくない、

これ以上わたしを嫌いになりたくない

それだけ。

 


認める勇気がないだけ

 


みんな違ってみんないいなんて都合がいい

わたしは比べられた瞬間踏み台になる人生だった

 


わたしがいるから大丈夫

 


そんな言葉を使いすぎた

 


悩んでる同級生に何度も言った

わたしより良いから大丈夫

 


今になって気付く

 


彼女たちはわたしと比べられることすら

許してくれてはいなかった

 


彼女たちの土俵はわたしには届かないもっとずっと上にあった、そもそも、わたしなんか眼中になかったんだ

 


なんてことを、何年も経ってから理解する

 

 

 

誰も教えてくれなかったから。

 

 

 

わたしは誰かに気づいてもらえる日がくるだろうか