明日には忘れるひとりごと

ただの偏見と自論

2024/01/07

お久しぶりです

新年早々どこかからインフルエンザをいただいて、しっかりと連勤の予定を連休に変えたヒトとなりました。

今年も誰にも頭上げられない1年となりそうです

 


それもあってはてなブログ、書けてなかったというのもあるんですけど、インフルエンザになる前からちょこっとメンタル面が不安定になりつつあるな、と思ってたんですよね

 


まだ現地が落ち着いていないのに、その場に居ないわたしが、好き勝手につらくなっていいのか、勝手に未来に絶望的な感情を抱くのは違うんじゃないかと思ったりすると、ココに記すべきは明日への希望とか励ましとかのほうがいいのか、とか。

はたまたこんなにちっぽけな日常のちっぽけな感情ならわざわざ投稿することがあまりよくないことかも、とか。

でもそれを全てそれが起こったからという理由にしてしまうのはあまりにも無責任なことでは無いか、とか。

そんな訳の分からない葛藤を遮るようにインフルエンザはわたしの中に入り込んできました。

ある意味わたしを救ってくれたような気もします。

 


―――

 


1年間で1度も地震の揺れを感じなかった、なんてことのほうが少ないようなこの地で、時折くる大きな地震

 


いつどこできてもおかしくないよとか

もう既に起こると予想されてるものとか

そういうのがある中で、今回みたいにまさかここで、みたいなことのほうが多くて、これは、わたしの情報収集の能力の低さが問題なのかどうかは分からないけど、でも、こんな、こんなことがあるかもしれないと分かっていて、前を向いて進む、ということがわたしはすごく苦痛だと感じている

 


学生の頃に、将来大きな地震が来るからできる限りの備えはしておくようにと言われたあの日から、わたしは生きることが明確に嫌になった

その日が来るのをずっと待つような生活をしている。

好きなアーティストのライブも行けなくなった

その日に地震が来るかもしれないと想像すると、何も出来なくなってしまった

旅行もできない、イベントにも参加出来ない

移動距離が長くなれば長くなるほど、今かもしれないの恐怖が大きくなって、誰かと居ない限り途中で引き返す事も多くなった

通販で買い物をするのも辞めた

配達してくれる人がわたしのなんてことない荷物のせいで変な巻き込まれ方したら申し訳ないと思うと、気軽に頼めなくなった

 


今は少しマシになったけれど、ものを買うことも躊躇してたこともあった

何かあった時に何が必要かって考えると残しておくより残らないものが大事な気がして、思い出とか大したことない宝物とか、そういうのをまとめて全部捨ててしまったことがある。

でもそれから数年後に空っぽになった部屋の中をみていてすごく寂しくなって、その大きな地震が来るならその時に必要ないものは全部それが消してくれるような気がしたから、今はいろいろ詰め込んでもいいのかもしれないと思いだして、今では部屋には色んなものが乱雑に必要以上に散らかっている

 


―――

 


地震を言い訳に何もしなくなったわたし

1度も大きな地震を体験してないのに

誰よりも弱気なわたし

ほんとに無責任な生き方してるよな、わたし

なのに心のどっか、頭のどっかでは

誰かの役に立ちたいなんて考えようとしてたりして

ほんとに無責任すぎることに腹が立つ

 


誰かに言われた通り、

わたしはやらない理由を作るために

言い訳を探してるだけなんだ

 


ここから抜け出せなきゃわたしは何も始まらず終わってくだけなんだろうな

 


今年、2024年、

なんとなくだけど、ほんとに大事な1年な気がしてる

誰かに、何かに、自然に

邪魔されてもされなくても、

何かを始めなきゃいけない気がしてる。