明日には忘れるひとりごと

ただの偏見と自論

引きこもりの思想①

生きてたら 不安になることもあるよね

 

 

ちょっと先の未来にドギマギしたり

将来が不安になったり

全部、自分自身がしてる勝手な想像というか

妄想にすぎないんだけどさ。

世の中なにがほんとに起きて起こらないかなんてこと、分からないじゃん

(少なくともわかってなくて、わたしは。)

 

何を平和として何を正義と捉えて

何を悪とするかも誰が何をどう考えているかによってそれぞれだし、立場によって変わっていくものだって理解してる

けどその中でもお互いに穏やかに過ごせれば嬉しいなって思いながら過ごしているつもりのわたし。

それでも余裕がなくなってしまうと優しくできなかったりしてしまうわけだけど

 

その中で生まれる不安とかネガティブな思考をどうにかこうにか考えないように目を背けたりするんだけど、頭から離れなくて結局そこに着地しての無限ループで。

 

憂鬱に飲み込まれてくのがわかる、ゆっくり。

わかってるのに抜け出せなくて、足掻きもせずその憂鬱を受け入れている自分の感覚をはっきりと自覚している

 

世界の中心はわたしではないし、この世界に住む人たちの中にわたしの存在を認識して意識しながら過ごす人なんて居ないに等しいのに、わたしを主語として生きているわたしは、私のせいでとか私が今これをしたからとか、私のせいにして世界に起こることを今の状況をまとめたがってしまうけど、よく考えればそんなに大きな影響がわたしひとりの存在であるわけがない。

 

でもやっぱり私を主語に主軸に考えて生きてたほうが、なんとなく物語っぽくて生きてる実感があるから、そんなふうに物事と向き合ってしまうんだろうと思う

それは良いことでも悪いことでもない、ハズ。

 

 

ボクらはひとつの丸の上に生活してるけど

その上でボクというひとつの個体を動かしているのはなんだかすごく面白い

こんなに広い世界に生きるちっこいボクとか

それより小さい個体で生きる虫とか

もっと小さい何かとか

ほんとに考え出したら意味わかんないけど

その全部が生きてると思ったら

なんだか少し安心する。



2024/01/07

お久しぶりです

新年早々どこかからインフルエンザをいただいて、しっかりと連勤の予定を連休に変えたヒトとなりました。

今年も誰にも頭上げられない1年となりそうです

 


それもあってはてなブログ、書けてなかったというのもあるんですけど、インフルエンザになる前からちょこっとメンタル面が不安定になりつつあるな、と思ってたんですよね

 


まだ現地が落ち着いていないのに、その場に居ないわたしが、好き勝手につらくなっていいのか、勝手に未来に絶望的な感情を抱くのは違うんじゃないかと思ったりすると、ココに記すべきは明日への希望とか励ましとかのほうがいいのか、とか。

はたまたこんなにちっぽけな日常のちっぽけな感情ならわざわざ投稿することがあまりよくないことかも、とか。

でもそれを全てそれが起こったからという理由にしてしまうのはあまりにも無責任なことでは無いか、とか。

そんな訳の分からない葛藤を遮るようにインフルエンザはわたしの中に入り込んできました。

ある意味わたしを救ってくれたような気もします。

 


―――

 


1年間で1度も地震の揺れを感じなかった、なんてことのほうが少ないようなこの地で、時折くる大きな地震

 


いつどこできてもおかしくないよとか

もう既に起こると予想されてるものとか

そういうのがある中で、今回みたいにまさかここで、みたいなことのほうが多くて、これは、わたしの情報収集の能力の低さが問題なのかどうかは分からないけど、でも、こんな、こんなことがあるかもしれないと分かっていて、前を向いて進む、ということがわたしはすごく苦痛だと感じている

 


学生の頃に、将来大きな地震が来るからできる限りの備えはしておくようにと言われたあの日から、わたしは生きることが明確に嫌になった

その日が来るのをずっと待つような生活をしている。

好きなアーティストのライブも行けなくなった

その日に地震が来るかもしれないと想像すると、何も出来なくなってしまった

旅行もできない、イベントにも参加出来ない

移動距離が長くなれば長くなるほど、今かもしれないの恐怖が大きくなって、誰かと居ない限り途中で引き返す事も多くなった

通販で買い物をするのも辞めた

配達してくれる人がわたしのなんてことない荷物のせいで変な巻き込まれ方したら申し訳ないと思うと、気軽に頼めなくなった

 


今は少しマシになったけれど、ものを買うことも躊躇してたこともあった

何かあった時に何が必要かって考えると残しておくより残らないものが大事な気がして、思い出とか大したことない宝物とか、そういうのをまとめて全部捨ててしまったことがある。

でもそれから数年後に空っぽになった部屋の中をみていてすごく寂しくなって、その大きな地震が来るならその時に必要ないものは全部それが消してくれるような気がしたから、今はいろいろ詰め込んでもいいのかもしれないと思いだして、今では部屋には色んなものが乱雑に必要以上に散らかっている

 


―――

 


地震を言い訳に何もしなくなったわたし

1度も大きな地震を体験してないのに

誰よりも弱気なわたし

ほんとに無責任な生き方してるよな、わたし

なのに心のどっか、頭のどっかでは

誰かの役に立ちたいなんて考えようとしてたりして

ほんとに無責任すぎることに腹が立つ

 


誰かに言われた通り、

わたしはやらない理由を作るために

言い訳を探してるだけなんだ

 


ここから抜け出せなきゃわたしは何も始まらず終わってくだけなんだろうな

 


今年、2024年、

なんとなくだけど、ほんとに大事な1年な気がしてる

誰かに、何かに、自然に

邪魔されてもされなくても、

何かを始めなきゃいけない気がしてる。

2024/01/01

今年もよろしくお願いしますね、何卒

 

幸せになります、今年こそ

幸せがなんなのか、わたしがそもそもなんなのかいろいろ知れたらラクだろうなって思います

ラクだけど、どうなんだろう、ラクなのかな

 

年始早々すごく苦手な空気感に押しつぶされそうになってたけど、なんとか生き切った

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地震の話をするかまよったんですけど

さすがにここまで大きな地震だと

心配しないわけにもいかないので、わたしにできることは何もないのかも知れませんが、これ以上被害が出ないように祈るばかりです

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綴り納め

ことし、わたしを見つけてくれた方々

本当にありがとうございました

 

あなたがわたしを見つけてくれたおかげで

わたしもあなたを知ることが出来ました

本当にありがとう

 

あなたの存在がわたしの生きるをここまで続けさせてくれたと思ってます

正直、これまでの人生でいちばん寂しくて、いちばん自分を粗末にした一年だったので、ほんとにつらいだらけだった

 

なんで今日を生きてんだろうって考えたら

ほんとにこの場所を見つけられたからだと思う

 

もう大人なんだから自分のことは責任もたなきゃって、何回言われたんだろう

 

ほんとに情けない大人です

 

こんなわたしを生かしてくれてありがとうございました

 

年末も年始もお仕事ですけど、

一月末ですべてをリセット出来そうなので

それを目指してがんばります

 

良いお年を

2023/12/30

好きなことして生きていくとか、

なんとなく理想ではある

そうしたいなあとか、出来たらいいなあって思ってるんだけどね、好きなことがなんなのか、今年もわからないまま終わっていくような気がしてる

好きなことを好きだと思うことに抵抗があるのは今に始まったことでもなくて、何に対しても人に対しても好きかもしれないと思うだけでなぜか遠くにやらないとって思っちゃうから、その場に居られなくなる。

 

意味わかんない感覚だよね、ほんと

自分でもそう思ってんだけどさ、なんか、なんでなのかわからないけど、そう思っちゃって、全部さよなら、ってしたくなる。

 

年末はいつも寂しくなるのなんなんだろうね、

自分から手放して自分勝手だよね

嫌になるよね、なんなんだよって感じだよね