明日には忘れるひとりごと

ただの偏見と自論

#8月31日の夜に

 

最近では 夏休みの終わりが8月31日ではないことも増えているみたいですね

 

いかがお過ごしですか。

毎日暑い暑いと思いながらも

なんとなく空が空気が秋を含んできているような雰囲気を感じ始めている今日この頃です

 

 

ーーーーーーーーーーーー

 

毎年  この日を迎えると一安心というかなんとか生き残っていることに安堵する

悩まない一日がないくらい嫌なことが自分に起こったり、不安の多い出来事があったりしますけど、生きることを辞めずにいられるのはこういう自分の場所を作れているからだと思う

 

学生の頃に偶然見つけた #(ハッシュタグ) 8月31日の夜に

 

そこには同じように悩む人たちの言葉が溢れてて、勝手にこの人たちと生きたいと思ってしまった

 

ただ、わたしのひとりごとのように呟く140字の言葉は不透明で無責任なものばかりで誰かを救うどころか傷つけてしまったこともあった

 

画面越しでのコミュニケーションには限界があるのかもしれないけれど、それでも学校終わりのSNSでのやりとりはわたしの生きる希望だった

 

誰かとの繋がりがあることが わたしの生きる意味だった

 

学校には居場所なんてなかったし、自分のことを話せる機会もなかった

どこで生きればいいかもわからなかっし、家族仲もいいとは言えないし居場所もあるのかないのかわからないのかわからなかった

 

でも、今はSNSでのコミュニティがあって自分を表現する場所がある

 

あるっていっても簡単に自分を表現できるわけでもないけど、ね

 

わたしもそうだったし。

 

なんでわたしがしてもうまくいかないんだろうとか、そんなことばっかり思って、こころが腐ってくのがわかって、でもどうしていいかわかんなくて。

 

すごい人が羨ましくなって自分が必要ない感じが身に沁みて、つらくなって

 

誰にも頼れなくて、寂しくなって。

孤独にしがみついて悲観的な自分が可愛くなってしまうこともあったりして

 

全部諦めたくなること、今ももちろんあるんだけど

わたしはもう少し生きてみようと思ってる

 

 

ーーーーーーーーーー

優しい人が悲しむ世界なんて嫌だから

 

悪くないのに謝っちゃうのを優しいねなんて言葉でうやむやにされてたまるかって、思ってるから

 

 

わたしは何もできないかもしれないけれど

別の誰かとの出会いがきっかけになるかもしれないって

堂々と言える存在でありたいと思う

 

 

 


今日も生きててくれてありがとね

わたしも生きれてよかったよ