明日には忘れるひとりごと

ただの偏見と自論

引きこもりの思想①

生きてたら 不安になることもあるよね

 

 

ちょっと先の未来にドギマギしたり

将来が不安になったり

全部、自分自身がしてる勝手な想像というか

妄想にすぎないんだけどさ。

世の中なにがほんとに起きて起こらないかなんてこと、分からないじゃん

(少なくともわかってなくて、わたしは。)

 

何を平和として何を正義と捉えて

何を悪とするかも誰が何をどう考えているかによってそれぞれだし、立場によって変わっていくものだって理解してる

けどその中でもお互いに穏やかに過ごせれば嬉しいなって思いながら過ごしているつもりのわたし。

それでも余裕がなくなってしまうと優しくできなかったりしてしまうわけだけど

 

その中で生まれる不安とかネガティブな思考をどうにかこうにか考えないように目を背けたりするんだけど、頭から離れなくて結局そこに着地しての無限ループで。

 

憂鬱に飲み込まれてくのがわかる、ゆっくり。

わかってるのに抜け出せなくて、足掻きもせずその憂鬱を受け入れている自分の感覚をはっきりと自覚している

 

世界の中心はわたしではないし、この世界に住む人たちの中にわたしの存在を認識して意識しながら過ごす人なんて居ないに等しいのに、わたしを主語として生きているわたしは、私のせいでとか私が今これをしたからとか、私のせいにして世界に起こることを今の状況をまとめたがってしまうけど、よく考えればそんなに大きな影響がわたしひとりの存在であるわけがない。

 

でもやっぱり私を主語に主軸に考えて生きてたほうが、なんとなく物語っぽくて生きてる実感があるから、そんなふうに物事と向き合ってしまうんだろうと思う

それは良いことでも悪いことでもない、ハズ。

 

 

ボクらはひとつの丸の上に生活してるけど

その上でボクというひとつの個体を動かしているのはなんだかすごく面白い

こんなに広い世界に生きるちっこいボクとか

それより小さい個体で生きる虫とか

もっと小さい何かとか

ほんとに考え出したら意味わかんないけど

その全部が生きてると思ったら

なんだか少し安心する。