明日には忘れるひとりごと

ただの偏見と自論

怖いだらけの中で生きてる

既に眠いようなきがするけれど、まだ起きてから半日も過ぎていない午後6時。

世の中はそろそろ今日を終えようとしているだろう。

 

 


最近は昔ほど怖い夢を見なくなった、昔と同じような夢は見るけれど怖いとは思わなくなった。途中で夢だと思えるようになったから、だろうけど。

 


夢の中で必至に逃げてることも、知らない子と話しているとこも大きな争いに巻き込まれていることも、怖いと感じない。

 


けれど、現実に起こっていることのひとつひとつに、怯えることが増えた。
事故や事件、自然災害とかその他いろいろ
何も無い、なんてことがない日常に、怖いと思うようになった。

嘘だと思いたいようなことがあちこちであることとか世界は広いとか思っていても案外すべて身近な気もすること。ヒトということが同じだけでそれ以外同じである、なんてことがないこと。

この先に起こることがなにひとつわからないこと。

別に怖がる必要なんてないのかもしれない、怯えることなんてないよってよく言われるし、起こるか起こらないかわかんないことについて、ずっと考えていたって何も解決しないこと。

いちいち気にするなと言われてきた。

 


でも気になるの。

しょうもないことのひとつひとつが。


気になって仕方がなくて、納得出来ないとか理解出来ないと怖くて前に進めない。この道が安全かどうかとか、そんなのわかんないってわかってるし、どうにかなることもなんとなくわかってるけど、やっぱりこわいんだよ、わたしは

 


生きることが怖い

 


心配事の9割は起こらないらしいよ

 


それがなんの安心材料になってくれると言うんだろう

 


けど、不思議なことにそばに誰かが居てくれるだけで

怖いことから自然と目を逸らせることに気づいた

その人が居てくれるだけで何も変わらない日常なのに

 


それ以外なにも変わってないのに

傍に居てくれる人ひとりがわたしを安心させてくれることが不思議でたまらなかった

 


でもやっぱりまだ怖いから

この人が居なくなってしまった時を想像すると

生きていけそうにない

 


だから考えないことにした

 


そこにあることが、そこにいてくれることが

当たり前になってしまわないように

わたしは目を逸らさず生きている

 


いつかなくなってしまうものがあること

日常は簡単に消えてしまうこと

 


それでも生きている限り続くことがあること

考えていることのほとんどに答えはないこと

 


目に見えないことを無理に見ようとしなくていいこと

 


わたしはわたしでしかなくて

誰にもなれないし誰かになる必要がないこと

 


分かってはいても時々忘れてしまうこと

 


もうなんだっていい

生きてても生きてなくても生まれたことが事実

今がある事が事実

過去がどうだった、未来が不安だ

そんなのはなんの意味もない、わたしには。

 


誰にも理解されないことはタカラモノにしてしまう

誰かと共有できたことはアイコトバにしてしまう

 


そんな感じで一分一秒

自分の中の矛盾とか世の中とのギャップの中で

生き続けてるのがいまのわたしです

 


こちらからは以上です

 

 

 

心のメモです、失礼しました。