明日には忘れるひとりごと

ただの偏見と自論

踏み出せない一歩

 

朝に起きた、ご飯も食べた

服も着替えてメイクもした

部屋の掃除だってすませた

もうあとは扉を開くだけ。

 

 


それだけのことが出来なかった

少しの不安と

それを煽るような腹痛

そして強くなる外の風

なんとなく雨が降り出しそうな空

まるで足止めされているような感覚

 


必ずしも今日行かなければ行けない場所ではない

かといって決意が必要な行動でもない

 


3日ほど前からきらしているシャンプーとトリートメントを買いに行く、というシンプルな目標をわたしはここ2、3日達成出来ずにいる

 


ほんとうに今日行くべきなのか?

なぜ、今日に行かなければならないのか

最悪まだ試供品があるから今日じゃなくてもいい

なんて、小さな行かなくてもいい言い訳ばかり頭に浮かんでくる

 


むしろ、今日行くことで何か不幸があるのではないか

とか。

今日このタイミングで行くことが先の後悔に繋がるのではないか、とか、

人にいえば理解されない言葉だけが頭に浮かんでくる

 


これを正常な状態であるとは言えないだろう

 


けれどこんなのは今に始まったことでもない

小学生の頃から似たような考えは持っていたし

それが歳を重ねるにつれて具体的な理由をつけるようになってきているだけの話、だとわたしは思っている

 


身内はそれをよくは思っていない

 


人は普通そんなに考えて行動しない

と、何度も言う

そんなことを言われてもどうしようもなかった

 


だったらわたしは人ではない、もしくは普通ではないだけだろうと答えた

目の前の人はそれを聞いて呆れたと言いたげな顔をした

 

 

 

不安であることが足枷になっていることは自分でも理解している

あれをやりたい、これをやりたい、

あそこに行ってみたい、あれがみたい

そう思う度にそれに伴う不安が頭の中を支配する

 


小さな不安から大きな不安が頭の中で物語を描く

大抵はバッドエンドだ。

 

 

 

心が健康ではないから、わたしはそんなことばかりを考えるのだろうと、オトナは言う

だとすれば、わたしは小さいころからずっと不健康だなと思う

今さら健康になんてなりたくない、と反抗したくもなる

 


思いつきから行動するまでに人一倍(実際には何十倍も)時間がかかるわたしは、基本的に理由がないとなにもできない

 


だから、無職である今はかなり最悪な状態ともいえる

 


無職だから、休みだから、なんでも時間に縛られずに出来るはずなのに、

実際には、無職だから楽しむことを許されない気がしている

店に行けば店員がいるように、外に出ればその社会で働くひとたちを目にすることになる

わたしなんかに笑顔をみせる店員に出会うとわたしはつらくなる

わたしなんかに愛想をふりまかないでくれ、

わたしはそれを受け取れる器を持ち合わせてないし無愛想な返答しかできないよ。

 


無職であること、

それはわたしの心に余裕をくれることではあるが

一歩外に出れば余裕どころか居場所を失ったようにも思えてくる

のらりくらり呼吸をしているだけで何もしない一日をもし誰かに見られたら、わたしは堂々とは生きられなくなる気がした

 


働けば仕事第一に生活がまわる

休みの日だって職場のことを考える

急にシフトの変更があってもいいように、

出勤時間にはいつでも外に出れるようにかまえてるし

ある程度の時間になるまでは自分のことは何も出来ない状態で、職場から連絡がいつ来てもいいように携帯とにらめっこ

 


何も無ければそれはそれでいいわけで

 


だから休みの日の時間の使いかたが分からない

自分のために時間を使うことにわけわからないくらい気を遣うし、緊張する

 


わたしだけのために動くことが苦手だ

ポジティブな状態になることが苦手だ

 


すきなアーティストのライブに行くことだって

ほんとは行きたくてたまらないのに、

わたしが行った時に限って何かあるのではないか

よくないことが起きるのではないかと考えてしまってなかなか行けずにいる。

 


たったひとり、わたしの行動でそんなに大きく変わるほどの力なんてあるわけないのに

 


わたしはわたしのこと、ちゃんと変だと思ってる

 


ねえ、やっぱりわたしの心は変なのかな