明日には忘れるひとりごと

ただの偏見と自論

なんちゃって、丸くおさめたい

わたしは好かれてる

 


そう思うと自由にラクにいきられる

 


わたしは嫌われている

 


そう思うと何をするのも怖くなる

 

 

 


気持ち次第で行動がかわる

それは自分自身を通して理解した

 


仲良くしてくれている人の前で自由に出来るのは

どんな自分も受け入れてくれると信じてるから

 


と思っているけど不意に

あの時のわたしは受け入れられていなかったように感じることがある

急にあの時の友だちの顔が頭の中に浮かぶ

 


もしかしたら、あれは少し気を遣わせていたような

そんな不安がなだれ込んでくる

 


やってしまった、と反省もする

でもそれもわたしの勘違いかもしれないし

本人に確認するまではなんとも言えない

わざわざ確認するような事でもないし。

 


わたしは面倒な人間だ

 


ひとつひとつの物事に対して

考えすぎだとか

気にしすぎとか

力入りすぎとか

なんだとかって言われることが多い。

 


わたしからすればなんてことないし、

考えすぎることで安心できるけど、考えすぎて何も出来なくなることは確かに多い

それに、だんだんよくないことばかり想像して

嫌になる理由探しをしているような感じもする。

 


自己嫌悪も増える

 


ひとりでいるととくにね。

 


だから毎日なにかに向き合って

前向きに、新しい何かを求める必要があるんだけど

 


難しいね

 


―――

 


わたしは時々幸せを意図的に掴みたくなることがある

意図的にというより無理やり?人工的に?。

 


だから、友だちのこと褒めてみて、

わたしのこと、褒め返してくれないかなとか思ったりする。

( 面倒な人間要素その5。)

でもそれは失敗に終わることが多い

 


褒めて褒めて褒めるけど、相手が得意気になって終わってしまう

 


これをすることでわたしは自信をなくす

 


我ながら馬鹿なことやってるな、とは思う。

 


かまってちゃんが強すぎるな、と思う

でも、そうでもしないと、わたし、褒めてもらえるタイミングがないんです。 泣ける

 


まあ、それでも褒めて貰えないことの方が多いわけですが

 

 

 

わたしのキャラクター的なこともあるのかなあ。

どこに行っても何をしても

真面目な出来損ないキャラのわたしがいる。

 


言われたことはやる、けど

言われたことしかできない

 


遅刻はしない、けど

仕事が遅い

 


よく聞いてる、けど

意見はしない

 


なにかにつけて【けど】がある。

けど、の後の言葉がたぶん周りの本心であることが多い。

 


いい人 だけど 別に居なくてもいい

 


真面目にしてれば

いつか報われるかもとか思ってたけど

真面目にふざけてる人のほうが

なんか楽しそうに見える

 


わたしが思ってる真面目とかそういうのの基準が

そもそも間違ってるのかな

 


ルールに従うことがすべてではないけれど

ルールに従うことでうまれる平等もあるとは思う

 


時と場合にはよるけどね

 


言われた通りにやってたって

自主性がなければその程度。

 


頑張り方を間違ってるのかな

 


頑張ってない人なんていないもんね。

みんなそれぞれ、かたちは違っても頑張ってるもんね

 


そうだよね

 


わたしの都合で世界を見てるだけで、

見方次第ではどうとだって捉えることが出来ちゃうもんね、そうだよ。

 


わたしが報われないと思っていてもそれはわたしの主観でしかないから、ほかの人から見ればわたしは十分報われてるのかもしれない。

 

 

 

ー。

 


そんな綺麗事、言ってらんない。

 


なんちゃって。