明日には忘れるひとりごと

ただの偏見と自論

報われろ、努力

努力が報われるかどうか、は

努力した人にしかわからないし、

報われるかどうかわからないままじゃ出来ない努力

ってなにかなって話です

 

 


努力したら報われる

そんなわけないとか言う人もいた

けど、努力とかって終わりがないというか

目標に向かってする努力なら

到達するまで続けるしかないし、到達したら報われたってことになるんですかね、

どうかわからないですけど。

 


―――

 


強いひととかって、

あんなに頑張ったけど、まだダメでした

努力が足りませんでした

って、更に高みを目指す決意をしてて

そこからまた努力を続ける

 


すごいなー

と思う

 


自分にはできないなーって

 


振り返ると

わたしは努力が足りなかったことが多いと思う

 


頑張れたのは低学年まで

 


幼稚園の時には逆上がり

1年生では一輪車

2年生では二重跳び

 


やり方とかわかんないから

ひたすらそればっかりと向き合って

誰も居ない家の前の公園で夜まで練習してた

 


でも段々出来ないことが増えてった

 


走りも遅くなるし 水泳は浮かぶことしかできなくて

跳び箱は意味わかんなかったし 鉄棒もどんどん怖くなるし

 


得意だって言えてた体育もどんどん苦手になってった

 


組体操の倒立も一か八かって言われて

運動会のリレーも足でまとい

 


いつの間にか出来そうなことにもチャレンジしなくなってた

 

 

 

―――

 


努力出来るってことは

それに対する思いがそれだけ強いってこと

 


夢もそう、

叶えたい気持ちが強ければ強いほど近づける

 


やりたいことが明確であるほど

自分がするべきことも明確になる

 


いろんな言葉が返ってくる

 


やってみたけどだめだった

っていうと、

ほんとにやったの?全力で?努力した?

やれること、全部やった?

って聞かれる

 


やってない。

やりたくない

 


そんな程度の気持ちじゃだめ

 


また、否定される

 


わたしの中では大きく踏み出した一歩が

スタートラインから踏み出したにはあまりにもちいさな一歩だと笑われている気がする

 


本気でやりたいことに向き合う人は

この笑いも原動力に変えるだろう

たぶん、わたしは気持ちが弱いんだろう

笑われたことに なにクソ と思うより先に

やっぱりできない

と思ってしまうから。

 


報われない、とか

思い込みだとかっていってまた、笑われる

 

 

 

わたしはわたしでいつも真剣に向き合ってきてた

 


でもそれは、 全部

 


つもりでしかなったのかな

 


本気になれるやりたいことって、なんなんだよ。