明日には忘れるひとりごと

ただの偏見と自論

話さなくても離れない人たち

別になんてことてない

ひとりでいることも誰とも居ない時間も

 


家に居ても外に居ても変わらない

 

 

 

ほとんどの場合わたしは話せない

基本的に聞く

 


特に理由はない

 


理由はないと、いうよりはたぶん、話さなくてもなんとかなるから。

それに、話そうとしたときに限って、誰かの言葉とぶつかって、きまずくなる。その苦肩に耐えられない

 


あっ。すみません...そこから心の距離が1歩ずつ、

離れていくような気がする。思い込みかもしれないけど。

誰かにこれを話した時、そんなの気にすることない、よくあることだと言われた。よくあること、

 


だとしてもそれにどう対応すればいいか、なんてわたしは分からない。

 


だから、というわけではないけど

 


わたしは極力話を振られない限り大勢の場では話さない

 


それでいいと思ってる。

 

 

 

社会に出ると外食する機会も増える。

一緒にランチ行きませんか?とか、夜、空いてる? とか

 


嬉しいような気もするけど、やっぱり少し気まずい。

わたしと行ってもご飯がまずくなるだけでは?とか思ってしまったりする。

 

 

 

 


そんなわたしのことを何度も誘ってくれる人もいる。

 


そういう人たちは後にわたの友だちになってくれる人たちである。(嬉)

 


その人たちは基本的に話すことが上手で話題を豊富に持っているから、気を遣わずに聞くことができる。

わたしも楽しい。

 


そして、時々ちゃんとわたしに喋る時間を創る。

向こうが話さない時間。ちゃんと間がある時間、わたしは必ず話す時間が自然とつくられる。不思議なことに。(それは多分、彼ら彼女らが食べてる時間だと思うけど。)

 


自分と合う人

自分が合わせる人

自分と合わない人

自分に会わせてくれる人

 


いろんな人がいる

 


礼儀とか思いやりとかいろんなことを含めて

人と関わっていく

 


それでも今はひとりでかまわないと思うこともある

 


時々誰かと合うくらいがちょうどいい

 

 

 

ひとりでいいと思ってた頃から

時々人と会うのもいいなと思えるくらいになった今

 


これもわたしの中のちいさな変化