明日には忘れるひとりごと

ただの偏見と自論

好き その①

好きについて

 



 

推しのいる生活が当たり前にある人達がすごく多いようす。

推しのいる生活で心が満ち、日々のパフォーマンス能力が向上したりと日常への向き合いかたから変わる。素晴らしいことだと思う。

 


―――

 


推し、は好きとは違うの?どうなの?

応援したいとかそういうものですか?どうなんでしょうか

こんなにも周りが推しに貢いでいたりするにも関わらず、わたしには推しがいない

推すとはなんぞ?の状態、ずっと。

そもそも好きが人よりも薄いなと昔から感じていた。いろいろと。

好きって感情が曖昧で自分自身ですら、よく分かってなかった。

だから、推しの一歩手前(わたしの中では)の好きについて、今日は考える

 


――

 


好き にはいろんな濃度が存在する、と、わたしは判断している

だからまあ、言葉にすると、普通よりの好きとか大好きとかあとはなんかその間ぐらいとか?。そんな感じに、好きにもいろいろある、はず

わたしの中では、ある。

 


で、身近なすきを集めてみた

家の中 自分の部屋 ノート 紙 ペン

書くこと 話すこと (独り言)

綺麗なものを見る 綺麗な声を聞く 歌う(ひとりで)

目的のない散歩 ひとりの時間

甘いもの デザート(プリン系)

 


とかまあいろいろ探せばあるわけですが

 


わたしの中のすきにその場に誰かの存在があって成立するものが少ない。

となると、わたしはひとりが好き、もしくはわたし自身のことがすき?と思われてしまう気もする。どう?

 

 

 

好きって感情を他者に向けることがないの?と問われると、そんなこともないよ、と答える

今までにもすきになったひとだっているしね。

むしろ、簡単にヒトのこと、好きになるほうだと思う。

けど、近づきたいとは思わんのよ、毎回

仲良くなりたいとは思うんだけど。

だから、必要以上の情報を集めたりはしないし距離を縮めようなんて思わない

これはすきとは別?どうなの?

 


好きなアーティストだって何人か居るんだけど、これも人に話せばそれは憧れでは?と言われる

 


好きと憧れも別なの?

 


(なんか、好きって思うと この人になりたい!になっちゃうんよね、性別とかも関係なく、その人自身になりたーい!って。なるの。昔から。(余談))

 

 

 

じゃあ逆に嫌いは? そこから考える?

でもそもそも好きの逆って嫌いなの?って話?

 


もうよく分かんなくなるよね

 


でも好きが存在しないわけないと思うんだよ。

それに対する熱量も外それぞれってだけで

 


だから、推し活とかしながら

好きの存在についてずっと考えるとか話せるって

すごく特別なものなんだろうなって思うよ

 


あと、好きについて話す人って、柔らかい雰囲気、空気になるから好き。

楽しそうに話してくれる人多いし 心の扉いつもより開いてくれる感じがして、こっちまでヘラヘラしちゃう、ね。

あ、いま、自然に好きってことば、出たね。

 


そっかー、好きってこういうもんか

意識すると出てこないけど、ちゃんとわたしの中にもあったね

 


自然と心地よくなったりした時

ふわっと出てくるもんなのかもね

 


なんか、ちょっと楽しくなってきた

 


誰かが書いてる好きについて

ちょっと覗きたくなってきたから探してくるわ 🌷