明日には忘れるひとりごと

ただの偏見と自論

なかったこと、にしてもいいのか

謝ってくれてもいいのに

 


悪さを理解し、その気持ちをすみませんの一言で表現してくれたら、わたしはこんなに苛立ったりしなかっただろう。

 

 

 

ごん。

鈍い音。

程よく重い素材どうしがぶつかったような、そんな音がした

音がしたほうをみると、おじさんと目が合った

チェックの服に帽子、今日はそんなに夏っぽい日だろうか。そんなことはどうでもよかった。

 

あなたでしょう。

 


それはつまり私の乗っていた車に

あなたの開いた車のドアがぶつかった音だった

 


確実に目が合った、

のに、あなたは何も言わずに運転手の女性と言葉を交わす。

何事も無かったかのように。

 


こんなこと、日常のひとコマにすぎない。

誰かにあたったわけでも、大きなキズができたわけでもない、

けれど、なんだかモヤモヤする。

 


わたしのこころに余裕がないからだろうか

 


この車はわたしのではない、

わたしはただ助手席に座って待っていた、それだけ

だから声を荒らげるまではいかない

けれど、なんだか納得いかない。

 


謝って済む話は世の中にたくさんある

 


謝らずに去る話もおなじく

 


そのにわたしが居なければ、それはなかったことと同じなのかもしれない

 


でもそこにわたしは居た、居しまった

 


その現実と向き合った

 


けれどそれは居なくても同じような結果となった

 


わたしは存在してるだろうか。

 


その後入ったスーパーで、わたしはさっきのおじさんとまた出会った

こんどは少し避けられたような気もする、気のせいか。

 


ところで、わたしがこうして

おじさんと呼ぶのは、やはりあのおじさんを許せていないからだろうか。

何事もなく、ただ目が合っただけなら、

男性と呼んだだろうか

 


少しでも憎く、悪く表現したい気持ちが

おじさんと呼んでいるのだろうか

 


はたまたおじさんではなくオッサンと呼びたがっているのだろうか

 


言葉の意味は同じでも、その表現次第では微妙にかわるニュアンスが、楽しいなと思う。

 


呼び方ひとつでイメージがかわるなら

わたしはあのおじさんを少し悪く見せたかったのかもしれない。

 


おじさんと女性というだけで

なんとなく、そのふたりに差が出る気がする。

実際は同年代のふたりだとしても。

 


結局わたしは何が言いたかったんだろう

 


こうして吐き出すと、話がそれて気も紛れる

 


ひとはそうして、前に進む。なんちゃって。