明日には忘れるひとりごと

ただの偏見と自論

何も思わないわけでもないけど

子供のころ出来てたことが大人になって出来なくなったことを成長と呼ぶか臆病になったというかそれ以外というかはそれに対する物事によって変わることだと思うけど、わたしは、わたし自身は、臆病になってしまったことのほうが多いように思う

 


小さい頃から自分の気持ちを伝えることが得意ではなかったので、欲しいものがあろうと嫌なことがあろうと、決して言葉で伝える努力はせずに、近くに居た大人の目を見てはじっと訴えるということばかりしていたように思う

 


それを、察してくれる大人を頼りにわたし自身は何も言わずその場をやり過ごしていた

 


とにかく昔から自分のことを自分の言葉で伝えることが苦手で仕方なかった。

 


だから、助けてくれようとする大人にも助けてくれと、伝えられた経験は少なかった

どうしたの?と聞かれても答えられず、何が食べたいの?にも答えず、いつも誰かの思うままの誰かの言葉でわたしは動いていた

 


べつに伝えたいことがないわけでもなかったし、伝えられないわけでもなかったんだろうけれど、わたしは兎に角わたしの表現を嫌ってたんだ

 

 

 

そんな日常の中で同じ歳くらいの子供たちが泣き喚きながら自らの意思を伝えようとしているのを見てどうしてそれが出来るんだろうかと考えていたことを思い出す

お菓子ひとつが買って貰えずに座り込んで泣きじゃくる同年代の子をかわいそうだと思った時けど、それと同じくらいには羨ましいと思った

 


泣きながら気持ちを伝えるなんてことは幼稚園児になったわたしには出来ないことになっていたから

 


泣きたいほど欲しいと思えるものにも出逢えなかったけれど、外で泣くということを受け入れてくれるオトナがわたしの近くには居なかった、今思えば、居て欲しかった。

 


わたしの心はそんなに賑やかではなかったので、大声で叫ぶことも泣くことも笑うこともしない、とてもかわいくない子どもだったんだと、おとなになって分かる

 


少し恥ずかしい

 


子どもの頃特有の、生きてるだけで可愛い存在

可愛がられる存在、という期間をわたしはつまんない顔をしながら可愛げなく生きていたんだと思う

 


そう考えるとわたしは、大人になったというよりは

もともと子供じゃなかった、という表現のほうがしっくりくるような気がする