明日には忘れるひとりごと

ただの偏見と自論

原因不明の無

 

今週のお題「読みたい本」

 

 

好きな場所は本屋


本を読むことがすき、というようになったのはいつ頃だったか、と考える

というのも

もともと本を読むことを得意としないから。

小、中学生の頃朝にあった読書の時間、

すごく苦痛で1年間同じ本を持っていたけど読み終えた覚えはない

 


音読は別に苦痛と感じることは無かったけど、黙読がすごく苦手で。

文字を読むことはできても、理解するとか想像することが難しくて、話が頭にはいってこなかった

文字を頭の中で音を出しながら読むだけにしかならなかった

 


今でも昼間に本を読むとそうなるんだけど。

 


わたしが文章を読めるようになったのは高校生になった頃。

好きなアーティストと出会って歌詞を知りたくて読みこんだ歌詞カードが始まりだったと思う。

 


言葉の素晴らしさ、表現の素晴らしさ、比喩の繊細さに気づいた頃、歌を聴くことと同時に歌詞を読むことにハマった。

 


そこからその人の感性がどこからくるものかが知りたくなって、その人が紹介してくれる本を読み始めたのが読書が習慣になるきっかけ。

 


(わたしは、好きな人に染まってくタイプらしい。)

 

 

 

そこからは良い連鎖で、

好きな作家さんを見つけて、読んで、

その人が紹介してる本を探しては読んで

時々たまに知りもしない作家さんの小説を

なんとなく手に取って買う。

 


そこでハマるもハマらないももちろんあるけど

 


そうやってハマった読書。

 


コレクションぐせがあるわたしは

本を本棚に並べることにハマってしまい

本棚を埋めることも楽しみのひとつに加わった

 


でも最近 本が読めなくなりつつある

 


また、文章が文字としてしかみえなくなってる

物語が始まらない、入れない

扉が見つからない。

 


朝も昼も夜も、

時間はこんなにたっぷりあるのに

どうすることも出来ない。

 


本を読んでも違うことが頭に浮かんで邪魔してくる

 


鬱陶しい

 


読みたい本がないだけか、

と思ったので

本屋に行ってみた。

 


2時間

 


本屋の本棚と向き合った

 


けれどどの本にも手が伸びなかった

 


唯一手を伸ばした本は

花の辞典 と 手の描き方 の本

 


それ以外は眺めて終わった

 


好きな作家の新作すら、手が伸びなかった

 


本屋に入って何も買わなかったのは久しぶり

この違和感に心がざわついている

何が起こってるんだろう、わたしの中で。

 


誰かに話すほどでもないこの違和感を

どうにか吐き出したくて、今

久しぶりに乗った車の中で文字を綴る

 


不思議なことに、自分の打つ文字は

なんの抵抗もなく文字としてでもなく

文章として眺められる。

 


苦しい

 

―――

 

因みにわたしがよく読んでいたのは

 

朝井リョウ さんの本と

寺地はるな さんの本です

 

朝井リョウさんは

『もういちど生まれる』

『どうしても生きてる』

を、よく読み返していました

 

寺地はるなさんは

『大人は泣かないと思っていた』

を、読み返すことが多いです。

 

おわりです。