明日には忘れるひとりごと

ただの偏見と自論

共感もされたい、でも、特別でもありたい

5月4日、朝です、

朝って言っても、10時半、くらい

 


空は、青空で、

淡い青色が広がってて、淡い雲が、うっすらと膜を張るように、柔らかく、浮かんでる

 


未熟な感情が、未熟な私を不安にさせたり、ふわふわさせたりしながら共存している

外を歩けば、雑草が、隙間なく自らの存在を知ら閉めるように、まっすぐはえてて、負けた、って、思う。

 


わたしは、どこに行けばいんだろう、どこに行っても同じなんだろうか、わたしは、私のままで、抗えもせずに、生きていくんだろうか、このまま。ずっと。

 


憧れだけを増やして、頭抱えて、寂しさと悔しさを呑み込んで、平気な顔して笑って、ヘラヘラして生きてく、そんな、そんな毎日を、送りたくはないなあ。

強く、堂々と、生きられたら、いいのになあ、なんて、思うのは、馬鹿げてますか

 


って、、誰に聞いてんだろうね、、ね。

 

 

 

共感って、救われることもあるけれど、時々、苦しくもなる、よね

わかるわかる、そう言ってもらえて、ちょっと楽になることも、もちろんあるにはある、んだけどさ、わかるの先をしってくにつれて、あれ、これ、ちょっと違うってなったとき、また、孤独というか、やっぱり、ほんとの意味でわかっては、もらえないなって、思う。

 


わかる、は、

ずっと、

なんとなくわかるよ、ってことで、必ずしも、おなじ、ではない。から、

わたしは、わからないとは、言わないけれど、わかったフリをしてあげられない、これは、わたしの中の、変な正義感、でしか、ないのかもしれないけど。ね。

 

 

 

わかりっこないよ、気持ちなんて。複雑すぎて

自分だって、ね、わかってないことのほうが多くて、振り回されっぱなしなのに、それを、誰かに縋るなんて、無責任すぎるよな、とか、思ったりもする。

 


今日は、ここまでにしようっと、

思います

 


ありがとう

 


またね