明日には忘れるひとりごと

ただの偏見と自論

わたしも同じか

 

知りたくもないし興味ないのに

相手の感情に触れる 触れるというよりは 見る

会話には出てこなかった言葉が画面上に表示されるのを見て

またうんざりする

誰に対して向けられたものなのかもわからないその言葉に

わたしの心はざわつきだす

別に見なきゃいいじゃん 見なきゃわかんないし

その通りなんだけど気になってしまうのも事実で

見れる環境にあるの知らないのがなんだかそれはそれで気になるというか

 

そこに書かれた感情はいつの誰にも向けられたものなのかを紐解きたくなるというか

 

わざわざそれをその場居なかった誰かに知らせるように表示するのは

知って欲しい事実があるからだろうと思う

ここに居るあなたな、この気持ち、わかるよね、そうだよね、みたいな

 

わたしの視点 鋭いよね?

わたし気づいたんだけどあんた知ってた?

この人の考えてたことと全く同じこと思ってたんだよね

そうそうこう、いうことが言いたかったわけ

 

そんなんばっか

 

どうだっていいなと思うしおんなじことばっかだなと思う

それでいいんがろうし、それがいいんだろうけどね

 

 

SNSやらなんやらの楽しみ方がわかんなくなってんなって

 

こんなに多くの人たちが何年も続けてるコンテンツを

ずっと外野で眺めてるだけのわたしは

たぶん、本質が理解できていない

カタにはまりやすく真面目な生き方をしていると楽しめなくなることが多い

 

盛り上がっている場所でルールを100%守って楽しめてるヒトなんて

ほとんどいないだろうと、思ってる

 

これはダメなことだと分かってはいます、

その上でこの時のこの行動はいろんな人に迷惑かけすぎ(笑)

 

みたいな、そういう変な正義感みたいなのとか

 

問い合わせても動いてくれないからみんなで非難してことを大きくしなきゃ

みたいな、そういうの

 

なんか違うって思っちゃうんだよね

まあ、これも結局自論だから変な正義感のひとつなのかもしれないけどね

 

敢えて何も言わないような大人なヒトでありたかったなって毎日考えながら寝ると本当にロクな夢見れなくて、こんな形で吐き出すことにしてしまった大人気なさをどう消化しようか迷ってるけど、多分、消化なんてできないからこのままにしておく