明日には忘れるひとりごと

ただの偏見と自論

結局 ひとり、みんな自分で精一杯ってのも、わかる

《 5月17日のひとりごと》

 


なんか、別に なんてことないことが、気になることも、ありませんか?

わたしはいま、なんてことないことが、気になってしまってます。別に、悪いこと でもないんですけど、

起こったことが。

 


なんならいいことかなって、思えるようなことでもあるし。

でもなんか、急にあると、単なる違和感でしかなくて、

なんならちょっと気持ち悪い、違和感だから余計に、嫌悪感までいうとちょっと、よくないなあとは思うんですけど。

でもなんか、それぐらい、

違和感が、あって。

なんだろうなあ、

受け入れられないわたしが、器がちっこいのか、

なんかわかんないですけど。

でも全部、 あと、数週間の我慢とかって、思えば

なんでもないことになるんですけど。

なんでもないことだし、どうでもいい、こと。

って、思えたりするんですけどね。

 


どうでもいいこと。

とは思いたくないんだよね、でも

なんか他人事っていうふうには、あまり、思いたくなくて、自分の身近に起こることを。

わたしにもなにかしらの関係があるから、わたしの近くで、起こるんだろうなあと思うし、

まあどこ、どこっていうか、

目に入る情報にしても、耳に入る情報にしても、

自分に全く関係ないものだったら、目にも止まらないし耳にも入ってこないと、思うんですよねえ

 


でもそれを、耳にしてるってことは、やっぱり、

何かしら、関係してるとか 気になる話ではあるのかなあって、思いますけどね

 


我慢強いから強いって話ではないじゃないですか?

我慢ができるだけで、強さではないって、思いません?

なんか 我慢の強さと、なんだろう、

人間としての 、 つよさ?

っていうのは、別物っていうか、別のところで、

存在してるっていうか、

なんて言ったらいいんだろう。

同じところで 影響しないというか

我慢ができるからって、その人が、強い人なわけでもないしなあと、わたしは思うんですけどね。

なんか我慢できる強いひとって、ほんとになんて言ったらいいんだろう、

我慢…、つらい。

うーん、

我慢して みえる強さは、 ほんとにつらい。

我慢は、ほんとはしないでほしい。

し、

したくない。 と思うから、

我慢、、まあでもなあ、

なんかよく、言われるじゃないですか、

 


我慢 しなくていいよ とか

がんばらなくていいよ

逃げたらいいよ って

言ってくれる人いるじゃないですか。

 


でも、

逃げた先、に、苦労がないかって

聞かれると そんなわけなくて、

逃げたあとのほうがたぶん、しんどいことが多い、だろうなって、思ってしまうから 余計に、

逃げないほうを選びたくなる。

逃げるくらいなら、

なんて言ったらいいんだろうね。

なんか、逃げたさきの居場所を、与えてくれる人からの、逃げてもいいんだよ、は、

頼れるっていうか、

逃げてもいいんだとか。思えるんですけど。

ただ  逃げてもいいよって 言われるだけだと

逃げかたわからないまま、迷子になる感じがする、かなって。

だから人に対してわたしは、

辞めたらいいとか 逃げたらいいとか 、は

あんまり、いわない。というよりは、言えない。

言ってあげたいって思ってるし、その子も、言って欲しいんだろうなって思うこともあるけど、言えない。

だって、

何も無い状態になることのほうが、つらい時もある。

もう、死ぬほど嫌な上司から離れるために、何かを手放して、なにも、なくなったとして。

そうなってから、そうなったらなったで、

次の、次のステップに、トントンと、行けたらいいけど、行けなかったら、それはそれで、地獄 だなって思うからなあ。

ほんとに、難しい。

 


共感とか理解まではできても、なかなか、支え合うのは 助け合うのは、難しいなあ。